我が家の猫の話2
以前「我が家の猫の話」でも紹介しましたが、現在1匹の雄猫と一緒に住んでいるのですが、今同居している子が3代目です。
今回は二番目に来た子の話をします。この子もかなり記憶は曖昧になっていますが・・・
名前はまろん(通称 にゃん平 オスです)本名の由来は色からです。
最初のにゃん吉(ちょび)が2月に亡くなり、妻と二人何となくぽっかり穴が開いたような日々でした。
自宅そばにも野良ちゃんたちが多くうろついていましたので、猫を目にする機会は多かったのですが、自分たちのそばにいるのとは大違いです。
徒歩圏内にあるペットショップは、当時はまだ、子猫や子犬がいましたので、買い物ついでによく立ち寄りました。
ただ、死を目の当たりにしたことや、ロスの経験でまだ気持ちの整理に至らず、ただただかわいい姿で癒される目的で立ち寄っていました。
数か月たっても猫の毛が箪笥の隅で見つかったりすると、少しずつ、思い出されることより寂しさが強くなってきました。
「寂しいね」と毎日のように言い始めてしばらくした12月のある日です。
よく立ち寄っていたペットショップで、じっと目があう一匹の猫に出会いました。
とにかくケージの中から私たち夫婦がお店にいる間ずっと目があう子でした。
そうはいっても、気持ちを引きずってもいましたので、来週の買い物のときに立ち寄って、
もし、まだいたら私たちに縁があるのかもといってその日は家に帰りました。
翌週、どうかなあと思いながら立ち寄ったら、まだいました。生まれて5か月ほどになっていたので、周りの子に比べ破格の50000円。もし我が家に引き取らないとどうなるの?という気持ちもあり、我が家の一員になりました。
すくすく無事育ちに育って気が付くと7.5kg。小型のピューマほどに感じました。また、とにかく触られることが大嫌いで、抱っこもできません。でもつかず離れず、妻がちょっと動くと後ろをちょこちょこついて回ります。
好物は、微糖のアイスコーヒー。ちょっと飲み残しがあるとべろべろしています。
楽しい毎日はあっという間に過ぎます。初代の子が9歳でなくなってしまったので、健康優良児ではありますが、9歳になったばかりの9月に近所の動物病院に健康診断に行きました。健康には全く問題なかったのですが、一つ逸話を残してしまいました。
以前から爪が切れない子だったので、この際と思い、先生に切ってもらうようお願いしました。
先生からちょっと小ばかにされたように感じましたが、そこからびっくり。看護師さんと二人がかりでも制御できず、応援を呼んで3名でも無理。結局4本切ったところで断念。本当に嫌だったのか、野生動物の遠吠えのごとく全力で「いやいや」していました。待合室に戻ると待ってた人から「猫ちゃんですよね。」と失笑されてしまう始末。
家では、ちょっと悪さをして押さえつけても「くぅーん」と甘えたような声で離してほしいと訴えたりしていたことが、今回の件で私たちを家族と分かっていたのだと感じさせられました。
小さな(とはいっても7.5kgですが)子は、本当にわかりません。年を越して2月のある日です。前日まで全く普通で元気そのものに見えたのですが、朝うずくまってじっと動きません。おかしいことは分かったのですが、なんせ健康優良児でもあり、私も妻も実家時代から猫と一緒に暮らす歴15年以上の経験があったので、時間がたてば、けろっとしてるかもと思ってしまいました。
念のため、その日の夕方動物病院に電話してみましたが、先日かかった病院は時間外、近所に新しくもう一軒できた病院にかけて、症状を話たうえで、一晩様子を見てみますと電話を切りました。
しばらくして、病院から電話があり、できればすぐ来た方が良いかもと言われたのですが、翌日が祝日でもあり、今晩様子を見ますと言ってせっかくの申し出を断ってしまいました。
翌日連れてゆきました。先生から急性の腎不全でしょう。もしかしたらと言われてしまいました。
私は、二日前まで全く元気だったので、先生は大げさに言っているのだと、きっと元気になるものだと信じて入院させて帰ってきました。
3日間の入院でした。最初の子が病院で息を引き取ってしまったので、先生には万が一の時は自宅で看取りたいと話をしていたこともあり、3日目の夜に「連れて帰りますか?」と・・・
深夜2時頃、妻の腕の中で「ふー」と一言。息を引き取りました。
最初に子に続き。後悔でいっぱいです。
動物と一緒に暮らすことは、命を預かることでもあります。
元気な時もそうでないときも本当に家族の一員であることを忘れないようしたいと強く強く思いました。
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